青い日記帳 

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“枝垂れモティーフ”その2

高階秀爾先生の慧眼の一端を紹介した「枝垂れモティーフ
多くの方からコメント頂戴したり、
mixi内でも取り上げて頂くなど予想以上の反響がありました。

日本の伝統的絵画作品に記号化されたが如く描かれている“枝垂れモティーフ”
(画面の上縁から木の枝あるいは葉が垂れ下がっているモチーフ)

前回の記事ではその類型を紹介しながら最後に、西欧絵画に見られない「枝垂れモティーフ」が何故日本の伝統的な絵画作品には頻繁に見受けられるのかという疑問に対する解答として高階氏の以下の考察をご紹介させて頂きました。
日本の絵画空間においては、画面の枠の規制はそれほど強くない。実際、描かれた「部分」によって描かれていない「全体」を暗示し、喚起するためには、画面の外にも等質の空間が続いているという暗黙の諒解が必要である。光琳の梅の樹は、いったん画面の枠によって切られたように見えながら、そのままずっとつながって、再び画面のなかに戻って来る。日本の絵画において「枝垂れモティーフ」が成立する契機は、絵画空問と外部空問とのこのひそかな連続性にあると言ってよい。それは、西欧における「完結性の美学」に対して、「連続性の美学」とでも呼ぶべきもののひとつの現われにほかならないのである。
実は最も興味深く鋭い考察はこの後の文章に書かれているのです。
所謂「ジャポニズム」が西洋に与えた影響を説くだけなら週刊誌でも出来ます。

ルネサンス以来の「完結性の美学」が破産の危機を迎えようとしていたちょうどその時期に西欧にもたらされたジャポニズムは−「枝垂れモティーフ」をも含めて−、西欧にとって単なる異国趣味や珍しさを越えて、新しい美学の啓示となり得たはずである。事実晩年のモネは、ジャポニズムをそのようなものとして受け止めていた。

「日本美術の方法『枝垂れモティーフ』」を高階氏は日本の美術史に視点を引き戻し見事にまとめ上げていらっしゃいます。

江戸時代の元浮世絵師、司馬江漢は長崎から伝えられる「西洋画」を最も積極的に受け入れ自分の作品に生かしていった画家です。「(絵画は)写真に非ざれば妙と為るにたらず、又画をするにたらず」という強烈な理念を有し「写真」を実現するためには「西洋風」でなければ不可能と信じ、西洋画の研究に情熱を注いだそうです。

オランダのヤン、カスパール・ルイケン父子の銅版画集『人間の職業』に
樽造り」という作品があります。


西洋職人図集―17世紀オランダの日常生活
西洋職人図集―17世紀オランダの日常生活
ヤン ライケン,小林 頼子

この作品を手本に司馬江漢は「西洋樽造図」という作品を描いています。


上記で紹介した理念を有し、また「西洋画」に比べれば和漢の画法など「小児の戯れ」に近いと思っていた司馬江漢が、「西洋画」を元にして描いた「西洋樽造図」に於いて無意識のうちに画面上部に“枝垂れモティーフ”を描き入れてしまっていることは注目に値します。

“枝垂れモティーフ”を描き入れないとどうしても落ち着きの悪さを覚えた所為でしょうが、それは彼の理念とは真逆の結果をもたらしています。まさにこれは無意識の為す技に他なりません。

高階氏はこう述べていらっしゃいます。
「『枝垂れモティーフ』は、それほどまで深く画家の感受性のなかに入り込んで、いわば住みついていてしまったものだということである。われわれはそこに、伝統というもののしぶといまでの強さを見て取ることが出来るのである。」

そしてこの「しぶとい伝統」である「枝垂れモティーフ」は司馬江漢以降、明治という時代になり、一気に西洋画の流入を自ら行ってからも、それこそしぶとく画家達によって、無意識に受け継がれてゆきます。

高橋由一の「不忍池」1880年頃


藤島武二「ヴィラ・デステの池」1908年

(藤島がイタリア滞在中に描いた作品)

本阿弥光悦や俵屋宗達のDNAがヨーロッパに行っても尚、画家の感性の中に
しっかりと根をおろし、無意識のうちに描かせてしまう「枝垂れ」
「伝統のしぶとさ」を実感させられると共に、我々の日常の何気ない
素振りや思考もまたこうしたものの上に継続し成り立っていることを
考えさせられる極めて深い考察です。

網野善彦氏が「日本とは何か」「日本人とは何か」と問うた時
「“枝垂れモティーフ”という共通理念を有する者」と答えても
まんざら間違いではないかと思われます。
日本とは何か  日本の歴史〈00〉
日本とは何か 日本の歴史〈00〉
網野 善彦

高階氏は「日本美術の方法『枝垂れモティーフ』」の最後に和田秀作の
野遊」1925年 を紹介されこの論考を結んでいらっしゃいます。



これまた「枝垂れモチーフ」の藤の花が描かれています。
先日まで藝大美術館で開催されていた「パリへ―洋画家たち百年の夢展」にも出展されていた作品です。「日本人」はこの当たり前のように描かれた藤の花房を別段特に意識することなく鑑賞したはずです。(勿論、自分も)

意識しなかったということは、また「気がつかなかった」ことでもあります。全く気にも留めなかった藤の花の描かれている大きな大きな意義を教えてくれる美術史家が高階氏です。そしてあらためてその慧眼に驚かされます。美術史家数多く存在すれども一枚の絵に隠されたイデアを見る眼を有しているのは高階氏の右に出る人はいないと思います。

西洋の眼 日本の眼
西洋の眼 日本の眼
高階 秀爾

画家が描いたヨーロッパ―19世紀の憧れから21世紀の翔きへ
画家が描いたヨーロッパ―19世紀の憧れから21世紀の翔きへ
高階 秀爾

おまけ:
高階氏の炯眼に触発されつつ、本屋をいつものように
ウロウロしているとこんな表紙の本が目に飛び込んで来ました。


これも“枝垂れモティーフ”DNAの成せる業かと。

葉桜の季節に君を想うということ
葉桜の季節に君を想うということ
歌野 晶午

前回書いた「“枝垂れモティーフ”」と
今回の記事はこちらの著書を参考、引用し書きました。

「日本美術を見る眼―東と西の出会い」 高階 秀爾
長年の西洋美術研究に培われた確かな眼力が,日本美術の特質を論じ,さらに,日本美術と西洋美術の比較から,彼我の精神文化の本質を鋭く描きだす.美術愛好家のみならず,日本文化紹介のための必読書.

追記:岩波文庫より2009年12月に増補版として再販されました!

増補 日本美術を見る眼 東と西の出会い (岩波現代文庫)

この記事のURL
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1051
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この記事に対するコメント

“枝垂れモティーフ”。確かに日本人にとっては、あまりに自然すぎて、逆に気がつかない構図だと思います。

日本という遠い外国から来た斬新な構図に、モネの天才が鋭敏に反応して、美しい絵画に昇華された。。。そのモネが残した言葉の中から、今度は日本の高階秀爾の、批評家としての天賦の才が、的確に創作のエッセンスを抜き出した。。。

洋の東西を問わない、才能の交流の凄さに感動して、なんだか涙が出てきました。

また、それを絵画つきで判りやすく説明してくださったTakさんにも、心からお礼を申し上げます。Takさんの、教師としての才も素晴らしいですね。
crystal | 2007/06/22 3:09 PM
和田英作の「野遊」が大好きでポストカードも飾っているんですけど、
実物を見たことが無いのです。洋画家たち百年の夢展に出てたのか!
がーん。枝垂れなことに今まで気付いていませんでした…

枝垂れモティーフのDNAは、芸術家のみならず、
全日本人が持っているものだと思います。
自分のデジカメの旅行画像を見ると、風景写真は8割の確率で、
画像上部に「枝垂れ」が入ってるもん(笑)
秋津(Arthur-co.) | 2007/06/22 6:05 PM
「枝垂れモチーフ」を解りやすく説明してくださり
ありがとうございます。ーこの眼ーでいろいろ日本の
美術を追ってみたら面白いでしょうね。
高階先生のご本は白黒写真なのに、全部カラーに
してあり素晴らしいです。司馬江漢の「西洋樽造図」
のこの垂れてる枝は不思議でしたが、画面左に木の
幹が斜めに入っているという本の説明が、このカラー
の画でよくわかりました。芸大美術館で見た
和田栄作の《野遊》藤島武二の《ティヴォリ、
ヴィラ・デステの池》も鮮明に思い出しました。
supika | 2007/06/22 6:27 PM
@crystalさん
こんばんは。
コメントありがとうございます。

当たり前過ぎて他の方から
指摘されないと気が付かないこと
日常の生活の些細なことにも
隠れていると思います。

実はこの記事、昨夜酔っ払って
帰宅し泣く泣く書いたものなので
今読み返してみるとなんだか
しまりがありません。お恥ずかしい。

高階先生に申し訳ないです。

@秋津さん
こんばんは。

和田英作の「野遊」は芸大で見たとき
変った「色」の絵だな〜とは思ったのですが
藤の枝には全く気が付きませんでした。

そういったことに気が付くのは流石、美術史家。
素人の私なんぞ一生気が付かないこと教えて
くださいます。有り難い有り難い。
マイミクさんの写真も「枝垂れ」入ってました!

@supikaさん
こんばんは。

いえいえ、ほんとぐだぐだの記事で申し訳ないです。
シラフで書いてもさして変らないとは思いますが。
高階先生の目を一日だけ貸していただき
美術館を観てまわること出来ないものかと
アホなこと考えたりしています。。

「西洋職人図集―17世紀オランダの日常生活」が
個人的には大変気になります。
アマゾンさんに頼もうかな〜

画像で持ちこたえているようなブログですので、
これからも頑張ります!!どうぞよろしくです。
Tak管理人 | 2007/06/23 12:38 AM
こんにちは。 
遅ればせながら読ませてもらいました。

図像の中に脈々と日本人の美意識が流れいるのが分かりました。
「連続性の美学」という言葉は絵巻物を連想しました。
枝垂れる、画面を遮蔽しつつ垣間見るというのは雲や霧の表現にも通じるところがあると思いました。
何と言うか、あからさまを嫌う日本人の感性のようなものも感じました。

kyou | 2007/06/23 8:56 AM
こんばんは。
「枝垂れモティーブ」面白く拝読しました。
日本人は、枠の中に宇宙を取り込む名手ですね。
和歌がそうならば、
枠を外す枝垂れモティーブは連続の切り取り。
本当に目から鱗状態です。
手前に木々の枝葉を置くと安心できる構図になるのは、
そういうDNAのなせる技だったとは。
空間を連続性の美学として取り入れ、
その一部としての枝垂れ。
納得納得です。

高階先生のこの著書が絶版状態ならば、図書館で探すしかないですね。読んでみなくては、と思いました。

Takさんならではの優れものの記事でした。
あべまつ | 2007/06/23 10:36 PM
@kyouさん
こんにちは。

>「連続性の美学」という言葉は絵巻物を連想しました。
なるほど〜絵巻物ですか。
確かに時間の境目がありませんし
雲や霧の表現もまた同じかと。
あの雲がなくすべてあらわにされていると
何だか落ち着かないのもまた日本人なんでしょうね〜

@あべまつさん
こんにちは。

高階先生の本、web上の古本屋で検索したら
結構あるようですよ。1000円程度で(安!)
この記事だけでなく
目から鱗の記事満載です。
どうしてこういう鋭い点に気が付かれるのか
不思議でなりません。
プロだからと言ってしまえばそれまでですが
それ以上に天啓に導かれるかのような
何かがきっとおありなのでしょう。

枝垂モチーフは結局、
日本人と自然との係わり方に
起因しているのだと思います。
Tak管理人 | 2007/06/24 12:05 PM
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