青い日記帳 

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マリア歎きの眼を伏せ祈る

記事のタイトル「マリア歎きの眼を伏せ祈る」は下の句。
上の句「ゆきゆかば青衣荘厳の国を見む」に続く短歌。
詠み人は杉本清子。

2000年の夏から秋にかけて国立西洋美術館で開催された
「西美をうたう−短歌と美術が出会うとき」展で紹介されていました。

ゆきゆかば青衣荘厳の国を見むマリア歎きの眼を伏せ祈る

この歌が添えられたのがカルロ・ドルチのこちらの作品。

悲しみの聖母」1650年代半ば

ドルチのこの作品は常設展示作品の中でも最も好きな作品のひとつ。
西洋美術館の顔とも言えるこの作品ですが意外と収蔵されたのは最近で、
平成10年度新収作品ということになっています。

 作者のカルロ・ドルチは、17世紀のフィレンツェで活躍した代表的な宗教画家である。しかし教会の大祭壇画など大画面の構図はあまり得意ではなく、むしろ小画面の個人用の絵を描く画家として人気があった。とりわけ甘美な聖母像や聖女像の制作に優れ、フィレンツェの支配者だったトスカーナ大公家、特に公妃ヴィットリア・デッラ・ローヴェレから重用された。
 こうした個人用の宗教画が当時さかんに描かれたことには、理由がある。ローマ・カトリック教会は、プロテスタントの勢力拡大に危機感を抱き、16世紀半ばに大規模な宗教会議を開いて伝統的な信仰の堅持をはかった。その結果のひとつとして、信者個々人が、キリストの死や聖母マリアの悲しみについて、毎日のように深く観想し祈りを捧げることが、強く奨励されたのである。イグナティウス・デ・ロヨラの有名な著書『霊操』(または『心霊修行』)が良い例である。
 イタリアやスペインなどカトリック国では、描かれた聖人の像はこうした観想の重要な道具とみなされていた。だとすれば、画家の作風にも、信者の心に直接強く訴えかけるような情緒性が求められたとしても不思議はない。ドルチの作品が高い人気を誇ったのは、技術的な優秀さだけでなく、彼がこうした目的にふさわしいイメージを創り出すことができたからだった。


少し検索をしてみても↑に記されているような作品を見つけることができます。
アメリカ、フロリダにあるRingling Museum所蔵の一枚も大変美しい優品です。

Blue Madonna

 ドルチとその工房は、本作品によく似た悲しみの聖母像を数多く制作した。それらは現在、ルーヴル美術館、エルミタージュ美術館、クリーヴランド美術館、ボルゲーゼ美術館などに所蔵されている。そのうちボルゲーゼ美術館の作品は「親指の聖母」と通称されるヴァリエーションで、本作品のように両手を組むのではなく、衣のひだの間から親指だけをのぞかせる形で描かれている。ちなみに、この「親指の聖母」タイプのヴァリエーションは、上野の束京国立博物館にも貴重な歴史遺品として所蔵されている。

ここで紹介されている博物館所蔵の「親指のマリア」

聖母像(親指のマリア)」
(屋久島に潜入したイタリア人宣教師シドッチが所持していた聖母像)

 東京国立博物館《親指の聖母》は、江戸幕府のキリシタン禁止令の下、最後の潜入伴天連として1708年に屋久島に上陸したイタリア人宣教師ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ(1668-1714)の所持品と推定されている。シドッティは島津藩の手で捕えられ、長崎奉行所で取り調べを受けたのち江戸送りとなり、数年後に牢死した。ドルチの原作を忠実に模して描かれた聖母像は、布教のために危険を承知で単身日本に渡った情熱的な…宣教師の、日ごとの祈りの対象だったわけである。

この「親指のマリア」が8月21日から9月30日までの間、東博で公開されています。記憶が正しければ久々のお披露目。6年ぶり?

特別陳列「キリシタン−信仰とその証−」
本館二階だそうです。特別陳列「仏像の道」をみたら是非二階へも。

宣教師が持ってきた絵です。
思ったよりもかなり小ぶりの作品です。
だからこそ余計に信仰心が芽生えるのかもしれません。

クリスチャンでない自分でもこれをじーーと観たら
回心してしまうかも。そんな「蠱惑誘引符」的な作品です。
心してご覧あれ。

聖母のルネサンス―マリアはどう描かれたか
聖母のルネサンス―マリアはどう描かれたか
石井 美樹子

おまけ:国立博物館ニュース8,9月号の表紙も飾っています。


この記事のURL
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1114
 天文18年(1549)8月に日本に伝えられたキリスト教は、天下を統一した織田信長のもとで興隆期を迎えます。しかし、天正10年(1582)に少年遣欧使節(けんおうしせつ)が長崎を出発すると、まもなく豊臣秀吉の伴天連追放令(ばてれんついほうれい)が施行され、キリシタン受難の時代がはじまります。寛永14年(1637)、15年の島原の乱を機に、江戸幕府は信者への迫害を強化し、隠れキリシタンが摘発され、多くの殉教者が出ています。宝永5年(1708)にはイタリア人宣教師シドッチが屋久島に潜入し、江戸で新井白石の取り調べをうけました。正徳元年(1711)に掲示されたキリスト教禁止の制札(せいさつ)は幕末まで維持され、明治政府もその政策を引き継ぎますが、国外から批判が寄せられ、明治6年2月、政府は法令の周知を理由に制札を撤去し、ようやく一定の信仰の自由が認められるようになりました。
 今回は、日本におけるキリスト教の布教とその受容の歴史を、キリシタン関係遺品などによって紹介します。『天正遣欧使節記』は、少年遣欧使節がヨーロッパ各地に起こした日本ブームの中で出版されました。シドッチ将来の聖母像(親指のマリア)をはじめ、ロザリオ、十字架などの遺品は、幕府によって没収されたものです。また、明治時代にも続いた弾圧のなかでの信仰を伝える紙捻りのロザリオなどもご覧ください。
その他 | permalink | comments(7) | trackbacks(1)

この記事に対するコメント

遠藤周作の「沈黙」を思い出しました。
久々に読んでみようかな。
中学の時の課題図書でしたが、強制されて読んだ割にはすごく好きになった一冊です。
M・スコセッシがいよいよ本格的に映画化に取りかかるようですね。
楽しみでもあり、怖くもあり…です。
さちえ | 2007/08/22 9:34 AM
遠藤周作の「沈黙」にしても
キリシタンの迫害の描写には
胸が痛んで さらりと 読み進めないわたくしです。

しかし 今回の聖母像 すべての青が美しい。
$あくびちゃん$ | 2007/08/22 2:44 PM
Takさん 突然のリクエストにもかかわらず、承認どうもありがとうございました。どうぞよろしくお願いします。

地方に住んでいるので、国立西洋美術館は、昨年の11月はじめて訪れました。他の展示会には目もくれず、常設展だけをじっくりみて来ました。^^;

でも、この絵は、印象に残ってません。(ーー;)印象派の絵ばっかりみていたんですね。

Takさんのブログを拝見して、絵の見方が少し変わりました。

この絵いいですね。また、上京の機会があれば、今度はじっくり、鑑賞してきます。

この絵をみていて、あの広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像を彷彿させられました。とても、人を穏やかにさせる表情ですね。
moko | 2007/08/23 7:55 PM
@さちえさん
こんばんは。

昨夜は参加できずに申し訳御座いませんでした。
爆睡してしまいました。。。

「沈黙」が映画化されるのですか。。。
「はだしのゲン」が実写化される時代ですからね。
それでも「沈黙」は活字のままがいいかと。

@$あくびちゃん$さん
こんばんは。

>しかし 今回の聖母像 すべての青が美しい。
これで虜になりました。
青はこういう時に威力発揮する色です。
高い精神性を表しているかのようです。

@mokoさん
こんばんは。

こちらこそリクエストありがとうございました。
今後とも宜しくお願い致します。

さて、この絵(「悲しみの聖母」)
西洋美術館が購入し初めて展示された時に
これは!!と感じ入るものありました。
無神論者ですが、この絵の前では
心素直にさせられます。深奥まで。

>広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像を彷彿させられました。
なるほど!そういう見方もありますね。
気が付きませんでした。面白い視点かと。
今度は絡めて見てみますね!
有り難うございました。
Tak管理人 | 2007/08/24 9:49 PM
ご無沙汰です!直島良いですね〜!
おはずかしながら最近知ったのですが、
「アヴェ・マリア」って「おめでとう、マリア」という意味だったのですね。
数ある「受胎告知」の中で、たまーに見かけるガブリエルの台詞ふきだしヴァージョンに描かれてました。

プラド美術館と、司教区美術館にある、フラ・アンジェリコの「受胎告知」には、お決まりアイテム以外に、
楽園追放されるアダムとエヴァが描かれています。
エヴァは、Eva、Aveの反対の綴り。
無原罪のはずのマリアに「おめでとう」と告げつつ、
受難の象徴のように楽園追放が描かれてるなんて、なんとも…
ということを最近知ったばかりですが、タイミングよく?、
歎きの眼を伏せて祈るいとも美しきマリア様の記事を拝見したもので、
つい書き込んでしまいました。

観想の対象である宗教画は教会にあってこそ、
その美しさ、威厳を放ちそうで、茶室にあってこその、茶道具にも通じるなー(すみません)なんて、
思ったりもしますが、
圧倒的に美しいものは、たとえどこにあったとしても
その美しさを損ねることがないのでしょうね。

(私が書くと軽々しくなって恐縮です…)
nao | 2007/08/26 5:18 PM
サンタ・マリア・デレ・グラツィエ修道院の
「受胎告知」にもアダムとエヴァがいました。
一応、補足でした…。
nao | 2007/08/26 5:28 PM
@naoさん
こんばんは。

キリスト教徒でもなんでもない自分が
ただ漫然と観ていても心洗われる
気持ちにさせてくれる裕品です。

青は他を寄せ付けない威厳のようなものを
備えた色だとこの絵などを見ると確信させられます。

普段チャラチャラしている自分だからこそ
そうした青の魅力に惹かれるのだと思います。

以前、たまたま立寄ったヨーロッパの教会で
賛美歌が歌われていました。
言葉はもちろん分りません。
でも30秒もしないうちに涙がこぼれてきました。
無意識に。

あれば「空間」「場所」がなせる業かと。
その逆のパターンでは見過ごしてしまいますが
ぴたりと当てはまった時、その場に居合わせると
もう言葉など出てこなくなります。
Tak管理人 | 2007/08/27 12:15 AM
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特別陳列「キリシタン−信仰とその証−」で、いい絵を見た。「聖母像(親指のマリア)」である。(すでにTakさん、とらさんが、素晴らしいレポートをされている)これは、18世紀初頭に鎖国中の日本に潜入し、捕縛の後、獄死した宣教師シドッチが持ち込んだマリア像であ
特別陳列「キリシタン−信仰とその証−」 東京国立博物館 | つまずく石も縁の端くれ | 2007/09/01 7:45 AM