2008.11.08 Saturday
「石田徹也展」
練馬区立美術館で9日より開催される
「石田徹也―僕たちの自画像―」展の内覧会にお邪魔して来ました。 ![]() 1973年6月16日生まれ。 1992年武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科入学。 1995年同大学卒業。 2005年5月23日逝去。享年31歳。 夭折した石田徹也氏初の東京で開催される展覧会。 70点以上の作品が練馬区立美術館2階の展示室に。 一点、二点と単品で拝見したことはありましたが、まとめてこれだけの数を目にするのはこれが初めてのこと。この展覧会が開催されると知ってから「石田徹也遺作集」を見なおし、珍しく特集がえらく充実している「美術の窓 2008年 11月号」で石田作品を時系列的に予習。準備万端でいざ。 しかし、どうしても「心の準備」無くして石田徹也の作品と対峙することは出来ないような考えや、体調万全で臨まないとざっくり心に穴をあけられてしまいそうな思いを抱いてしまいます。テレビや本、web等で知ってしまった「石田徹也」にまつわる様々な「情報」が否が応でもそうさせるのでしょうか。 正直恐る恐る中村橋まで。(内覧会は新聞社主催の展覧会のそれとは異なり、ごくごく限られた方だけのとても静かで穏やかなものでした) 以下、会場内の様子を交えながら。 (注:画像は美術館に許可を得て撮影したものです) ![]() 1995年、大学4年時に「ひとつぼ展」グラフィックアート部門でグランプリを受賞した頃に描かれた作品群。(右端の作品「SLになった人」でグランプリ獲得) この当時から既に石田自身に似た不安げな顔をした短髪の男性と「機械」が一体となった作品が描かれていたようです。しかし画面にはどことなくユーモラスな雰囲気も漂い、色彩も赤やオレンジ色が用いられ比較的華やかです。 ![]() ガラスケース内の「ビアガーデン発」と「居酒屋発」は題63回毎日広告デザイン賞優秀賞に選ばれた作品。1995年までに描かれた作品では笑い顔さえ描かれているのです。 ![]() ところが翌1996年に発表された「飛べなくなった人」からがらりとそれまでの作風が一変。今日我々が良く知るところの「石田ワールド」の萌芽です。そしてその「新芽」はすくすくと成長してゆきます。石田の魂を養分として。 ![]() 1996、97年にかけて描かれた作品群。 日常当たり前過ぎて気づかない(我々が気がつかないようにふるまっているだけ)事象に対しても石田は勇猛果敢に我が身を削りながら挑んでいきます。閉塞感に満ち溢れた現代日本の様相をアイロニカルに表現。この頃まではまだ観る側もシンクロ出来る点が多くあり「うんうん」と肯ける作品も。 最初の展示室はここまで。 予想に反し、ここまでは大変穏やかな気持ちで鑑賞すること出来ました。ところが次の展示室では外に開いていた扉が突風に煽られバタンと急に閉じてしまったかのように作風が一変。内へ内へ。石田が抱える心の懊悩が展開されます。 ![]() 1999年職に就くことなく画家の道を直向きに歩む石田の作品にあからさまな「死」が登場してきます。この間に一体彼に何があったのでしょう。 「美術の窓」p.34、35に↑に展示された「市場」「待機」「彼方」の三作品が同じように掲載されています。発売日に店頭でパラパラとページをめくる手が思わず止まった(止めざるを得なかった)のがこのページでした。「衝撃」と形容するに相応しい眼を反らせたくなる作品がそこに。 まさか現実の世界でもその「衝撃」を喰らうことになろうとは思いもしませんでした。最初の展示室で弛緩したした心臓に不意打ちが待っていました。 ![]() 2001〜2003年頃に描かれたとされる作品群。 牛丼チェーン店で食事を「摂る」サラリーマンたち等の姿をグレイトーンで描いていた1996、97年時の作風とは明らかな違いが。「分かりやすかった」主題が一見したところでは分からない、また様々な解釈が出来るような作品へと変貌。 ![]() 2004年頃の作品には明らかに観る者に恐怖心を植え付けるそんな作品も。 石田の作品にはよくベンチやベットにちょこんと腰掛けた人物が登場しますが、↑の作品では身体が溶解し既に座っていることも困難な状態になってしまったかのようです。左手がかろうじて握っているのは誰の手なのでしょう。 2005年5月23日逝去。享年31歳。 ![]() 最後の最後まで首尾一貫して緻密に念入りに(例えばフローリングの床板)徹底して描いています。今回初めて生で多くの石田作品に触れまず感じたことは作品の濃さ。それと画集では分からなかったスケール感(意外と大きな作品が多くあります) 石田徹也の遺した作品に関しては様々な意見や感想があろうかと思います。が、自分もこれまでそうだったのですが、決して根暗で観る者を鬱にさせるようなそんな作品ではないことだけは確かです。 石田の中に芽生えた「芽」が彼自身を養分としながらすくすくと成長した作品。それを「人身御供」として「お守り」として我々が礼讃し誹る。安全地帯はどこにもないことを知りながらも。 ストイックに絵画の道だけを恋人も遊びとも自ら決別し直向きに歩んだ、たぐい稀なる人物。ルネサンス華やかなりしイタリアの地にもし彼が生まれたら違った生涯が待っていたはずです。 安易に過去の芸術家(たとえば似たような境遇のゴッホ)と比べてしまうのは性急な感否めません。石田は石田であって他の誰とも違うということはっきりと分かりました。臆することなくこれから彼の作品と向かい合っていけそうに思えます。 最後に「今日の一枚」 ![]() 腕の血管が異常なまでに浮かび上がってはいるものの目は虚ろ。机上には何も描かれていない真っ白な紙が。後方で「待っている」二人は誰だったのでしょう。 (手前のケースには「アイデア帳」が。こちらも必見です) 石田氏の生れ故郷静岡からお父様とお母様も会場におみえになられていらっしゃいました。ご挨拶したあと一言二言。「手がかからないしっかりとした子でした」と。 「部屋を片付けに行ったとき、この作品が床に置いてありました。これが最期の作品です」とわざわざ展示場所まで案内して下さった作品。 以下は石田徹也氏のお父様の言葉。 「石田徹也―僕たちの自画像―」展開催にあたって 徹也が亡くなって、残された膨大な作品の数と大きさに途方にくれ、『絵そのものは、全て捨ててしまおう』と決心し、作品の写真をとり、遺作集を発行させて頂きました。その後、皆様方から作品に関してのありがたい評価を伺い、東京でも、このような大きな展覧会ができることになりました。 私どもは絵に関しては、まったくの素人でありまして、展覧会で皆様方に観て頂き、評価して頂けるのが、とても励みになっております。決して、心が落ち着くとか結麗な作品ではありませんが、徹也の作品を見たことにより、何かしら皆様方に感じ取って頂ければ、幸いです。 石田徹也の世界−飛べなくなった人−石田徹也公式ホームページ 「石田徹也―僕たちの自画像―」展は12月28日までです。 ![]() 美術の窓 2008年 11月号 [雑誌] 【特集】石田徹也―「僕らの現実」を描き続けて去った人 ![]() 石田徹也遺作集 それでは最後に「今日の美味」 ![]() 練馬区立美術館の喫茶室で頂いた「コーヒーとミックスクッキー」 クッキーは社会福祉法人・花水木の会が作ったもの。ご馳走さまでした。 【関連エントリー】 - 弐代目・青い日記帳 | 山口晃トークショーin練馬区立美術館 - 弐代目・青い日記帳 | 「続・無残ノ介」完成!山口晃展in練馬区立美術館 - 弐代目・青い日記帳 | 最終日の「山口晃展」@練馬区立美術館 - 弐代目・青い日記帳 | 「高山辰雄遺作展」 - 弐代目・青い日記帳 | 「山口晃展 今度は武者絵だ!」 この記事のURL http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1567 JUGEMテーマ:アート・デザイン 鋭敏な感性で自己と社会を描き出し、将来を嘱望されながら惜しくも31歳で死去した画家・石田徹也(いしだてつや) (1973〜2005)の作品は、見るものすべてに衝撃を与えます。多くの作品に登場するうつろな目をした人物は、彼の分身であるとともに、現代に生きる若者たちの自画像でもあります。また、それは現代社会の中で生きる私たちが日頃は心の奥底に押し隠してしまっている精神のドラマを表現したものとして、世代を超えた共感を呼んでいます。あるときは哀しく、あるときは悲痛であり、また、滑稽な現代人の姿を、石田徹也は精密に観察しながら丹念に描き出しました。 |



















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