2005.03.08 Tuesday
「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展」
上野国立西洋美術館で今日から始まった展覧会。
「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展」に行ってきました。 たまたま仕事が何故か早く終わったので 行って来てしまいました。ほんと「たまたま」です。 その証拠に帰宅し手に持っていた展覧会の図録を目にした かみさんが「あなた何処行って来たの?まさか…」と 目を丸くしていました。「たまたま」なんです。 「Takさん、13日オフ会じゃないんですか?」 えーーとですね、下見です、いわゆる。念のための。 オフ会はもちろんちゃんと行います!! やましい気持ちは全くないのに、こんな時に限って 知人にばったり出会ってしまったりするから驚きです。 掲示板でお馴染みのsiyaj_kakさんにいきなり会場内で 「こんにちは、Takさん」と声をかけられました。 やましい気持ちは全くないのに、こんな時に限って 帰り際に更に藝大の知人ともばったり 悪いことできないと悟りました。身をもって。 気を取り直して。。。肝心の展覧会の内容です。(ふ〜) 現存するラ・トゥールの真作とされている作品は世界中に約40枚といわています。 そのうちの18枚の真作がこの展覧会に展示されています。 ラ・トゥールの工房作かもしれないと思われる作品など2点を含めると 合計20枚の作品がこの上野の美術館に集結したことになります。 純粋にこれは文句なしに、前代未聞今後有得ない最初で最後の展覧会という ふれ込みも嘘やまやかしではないということが数字からも分かります。 鑑賞ポイントその1 「40分の20。二分の一の作品が来日している。」 展覧会の会場は模写も多く交えて展示してあります。 キャプションには「ラ・トゥールの失われた原作に基づく模作」と 書かれてある作品が何点もあります。 「何だ偽物か〜」と思わないでくださいね。 これらの作品はみな立派な美術館が所蔵しているものばかりです。 要は模写でもスゴイということ。実際私などどれが真作でどれが模作か 区別がほとんどつきませんでした。 鑑賞ポイントその2 「真作のみならず、質の高い模作も交えて展示してある。」 クリックで拡大 ↑これ素人の私にはほとんど区別つかなくて苦労しました。 NYフリック・コレクションが貸し出してくれた 『聖母の教育(書物)』なんて模作で十分満足お腹いっぱいになります。 『キャプション色変えるなどして分けて展示した方がいいのかな』とも 観ながら思ったのですが。逆にキャプションに頼らずに自分で 真贋を判別できる楽しみもあるので、これで良いのだと結論付けました。 展示室が今回は地下二階のフロアだけで足りているので上下の移動がなくて とても観やすい気がしました。人の流れもスムーズでした。 展示室入口から順に「宗教(12使徒)」「音楽」「宗教」「風俗」の順で 展示が構成されています。一番スペースが多く割かれているのが「宗教」です。 ただラ・トゥールの描く宗教画はいわゆる宗教画らしくないので 日本人にも比較的容易に受け入れられるものが多くを占めていました。 聖人を描いていても、その辺にいるおじいちゃんのようで近しい感じがします。 その宗教画の中で一番良かったのが『書物のあるマグダラのマリア』でした。 ヒューストンの個人が所有している作品だそうです。 初めて観ました。横長の絵です。「マグダラのマリア」は「美の巨人たち」でも 扱っていた縦長のバージョンが有名ですが、今回の『書物のある〜』は それらとはまた違った趣きがあり魅了されてしまいました。 マリアの顔はその長い髪が覆い鼻と口しか見えないのですが、それがまたgood. お約束の蝋燭の炎によって照らし出された空間美は官能的でさえありました。 『聖ヨセフの夢(聖ヨセフの前に現われる天使)』これがアンケート取ったら 多分一番票を多く集めるであろう作品です。チラシやチケットの絵もこれです。 この作品一枚観るだけの為に上野まで行っても損はないかもしれません。 印刷物ではまるで表現出来ない作品の代表選手のような絵です。 天使の差し出す右手の奥に描かれた蝋燭の炎。言葉失います。 これらの蝋燭の表現はwebや印刷で見て知ってはいたのですが これほどまで繊細に微細に描かれているとは実際に絵の前に立つまで 分かりませんでした。ルーブル美術館で観ても慌しさの中 見落としてしまうくらいの光のグラデーションです。 鑑賞ポイントその3 「宗教画らしくない宗教画の蝋燭の灯り。」 だらだら書いてしまったので、この辺でやめにします。最後にひとつだけ。 以前、もうひとつのblogで「ぬばたまの夜」という記事を書きました。 そのことを今回の展覧会を観ていて思い出しました。 今の世の中24時間明かりが消えることありませんが、 ラ・トゥールが生きた17世紀、当然電気もなく 夜は街路灯のあかりもなかったわけです。 夜は真っ暗だった時代です。 その夜の真っ暗な状態を知っているからこそ こうした作品が描けたのではないでしょうか。 一本の蝋燭だけの灯りの絵です。 だから、現代人はラ・トゥールの描いた「あかり」を理解する為には 真の暗闇を知らないといけないように思えました。 鑑賞ポイントその4 「「あかり」を愛でることができるのは「闇」を知っているからこそ。」 『いかさま師』もちゃんとありました。 「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展」は5月29日まで(巡回しません) 公式サイト
以下プレスリリース
17世紀フランスの画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593−1652年)の名は、すでに世界的であるにもかかわらず、奇妙なことに我が国では未だに多くの人に知られているとは言えません。しかし、一度その作品を見た人にとっては、ラ・トゥールの絵は忘れがたい印象をもたらすでしょう。 |