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シリーズ『美術史家に聞く』第三回:高橋明也先生

毎日他愛もない素人の展覧会の感想だけではご覧頂いている方に申し訳ないとの思いから始まったシリーズ『美術史家に聞く』

第一回:小池寿子先生
第二回:池上英洋先生


第2回目の池上先生の記事から約2年近く間があいてしまいました。。。今日その長い沈黙を破り第3段をお届け致します。三菱一号館美術館館長の高橋明也氏にインタビューして来ました。

生い立ちから展覧会、美術館設立準備等ありとあらゆること、長時間に渡りお話伺うこと叶いました。とくとお楽しみあれ!


高橋 明也(たかはし あきや、1953年 - )は、日本の美術史家、三菱一号館美術館初代館長。東京都出身。
東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了。ドラクロワやマネを中心とする19世紀フランス美術史専攻。1980年より2006年まで国立西洋美術館研究員。1984年から86年にかけて文部省在外研究員としてパリ・オルセー美術館開館準備室に客員研究員として在籍。国立西洋美術館主任研究官・学芸課長を経て2006年、三菱一号館美術館初代館長に就任。アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックによるポスター及びリトグラフ250点あまりの「モーリス・ジョワイヤン コレクション」を館として購入、所蔵作品の核に据えた。三菱一号館美術館は2010年4月6日開館。開館記念展は「マネとモダン・パリ」。
父はフランス文学者で元早稲田大学教育学部教授の高橋彦明。小学生だった1965年から66年にかけて父のサバティカルに伴いパリに滞在した。

Wikipediaより。



Tak「それでは、まず美術史家になろうとしたきっかけを教えて下さい。」

「美術史という具体的な目標ではなかったけど、美術に何らかの形で携わりたいと漠然と考え始めたのは高校生の頃でした。でも、それだって美術史家とか学芸員になるとか明確に考えがあったわけなく、映画、舞台、空間デザイナー等やってみたいことは沢山ありました。」

「小さい時から言語を通してではなく、もっとダイレクトなものを表現できる何かになりたいと思っていました。例えば、もっと音感があればミュージシャンになろうと思ったかもしれないし、身体能力が高ければアスリートになっていたかもしれない(笑)」

Tak「そう思われるようになった契機何かあったのでしょうか?」

「言語以外の、ダイレクトな表現で人々を感動させたいと思うようになったきっかけは、やはり小学6年生の時に両親に連れられて1年間ヨーロッパへ行ったことが大きく影響していると思います。1965年夏から次の年の秋までパリに滞在しましたが、その間、いろいろなものを見ました。特にその行き帰りは当時まだ『フランス郵船』の定期航路が横浜からマルセイユまであったのでそれに乗りました。往復80日の船旅は今では考えられないほど贅沢ですが、明治期以降の日本の先人たちが皆使ったルートですよね。僕の世代でこの航路で往復した人はあまり居ないかもしれませんね。70年代にはもう廃止されてしまいましたから。」

Tak「船でフランスに渡る際に印象に残っていること何かありますか?」

「その時に目にしたもの、耳にしたもの全て物珍しかったです。香港からマニラやサイゴンを経てシンガポール、コロンボ、ボンベイ、そしてアフリカのジブチ、さらに紅海に入ってスエズ運河を通り、ポートサイドから地中海へ抜けるのですが、アジアの広大な自然の広がりの豊かさと、搾取される人々の生活の悲惨さの両方を垣間見ました。ヴェトナム戦争禍中のサイゴンへ向かうメコン川では、北爆するアメリカ軍のジェット機の音や轟く砲声を聞いたし、ボンベイなどで物乞いする人々のあまりの多さに呆然としたこともありました。」

「そして言葉が通じない様々な国の人々とのコミュニケーションとして、自然の風景であったり、絵画・彫刻であったり言葉は通じなくとも美しいものには皆、感動するということが実感として分かったことが大きかったと思います。丁度インド=パキスタン戦争が始まったときで、船上でそれぞれの国の乗客たちがいがみ合うのですが、それでも寄港地で綺麗な景色や建物などを見ると、皆一瞬『オー!』といって和むんですよね。」



「エジプトで船を降りてカイロへ行ったときには、当時のナセル大統領の指揮下、エジプトのアスワン・ハイ・ダムの建築に伴い、人工湖に沈むはずだったアブ・シンベル神殿等の遺跡を守ろうという大計画が進んでいることを知りました。ユネスコが中心になって資金を集め、アブ・シンベル神は無事数百メートル移動されて水没を免れた。そんな時代だったのでユネスコ関係の仕事をしたいなぁ、などと漠然と憧れたこともありました。」

Tak「パリではどのような生活をなさっていたのでしょう。」

「パリで過ごした1年間は、今のような日本人学校なんてなかった時代ですし、かといってフランスの現地校に入るには中途半端だったので、毎日ぶらぶらと街を歩いたり、あちこちの美術館や教会ばかり行っていました。今思えば、僕の風来坊的資質はその頃形成されたのかもしれません。昼間はそれでもアリアンス・フランセーズというフランス語の学校へ特別に入学させてもらい(子供のコースは無かったので)、多少は勉強していましたが、本来の小・中学生がやるべき日本の学業は一切しませんでした・・・子供にとっては天国でしたね…あとで帰国してからが大変でしたが・・・・。」

【秘蔵写真】

パリ時代、語学学校「アリアンス・フランセーズ」に通っていたときの、「大人の」クラスメートたちと撮った一枚。

「でも、特にルーヴル美術館には本当によく通ったので、展示室の作品配置は隅から隅まで頭の中に入っていました。当時の日本人で一番ルーヴルのこと知っていたと思うくらい、一種のオタクでしたね。(笑)。シャルトルやランス、アミアンなど、フランスのゴシックの大聖堂も立面図や平面図、ティンパヌムの彫刻を見ればどこの大聖堂か判別できるくらい調べていましたね(笑)。」

「そして家族でヨーロッパ各地を旅行し、ウフィツィーやらプラドやら、ウイーン、ロンドン、ヴァチカンといった具合にありとあらゆる美術館や歴史遺物を観ました。言葉よりも視覚的情報が膨大に先に入ってきてしまって、これが視覚芸術への興味へと否応無しに僕を駆り立てたんだと思っています。」

Tak「そんな高橋少年が観た中で印象に残っているルーヴル美術館の作品3つあげるとすると?どんなものがありますでしょうか?」



1:古代オリエント展示の「グデア像」
2:フランスルネッサンスのフォンテーヌブロー派の作品
3:イタリアルネッサンスのパオロ・ヴェロネーゼ「カナの婚礼」




「小学生にしては渋い趣味だったかな。観光客で混んでいる部屋は避けて、人の行かない展示室ばかり観ていたからかも。こんな偏ったところから美術の世界へ入って行ったんだとあきれますね・・・(笑)」

Tak「高校時代そして藝大を選ばれたのは?」

「都立高校時代、映画を見たり芝居をやったり、スキーをしたり、とにかく勉強しなかったのでどんどん成績が悪くなり、卒業年次にはひどい状態になってしまったんですね。旧制高校出身で、かの高階秀爾先生を教えたことのある数学の教師に呼び出されて、「お前、高階みたいになるのか?でもコレじゃ大学いけねーぞ」って宣告されました。ということは不肖この私、この頃既に不遜にも美術史をやろうと思ってたわけですね。高階先生、本当に失礼しました(笑)。そして少し発奮して遅まきながら受験勉強始めたところ、努力の甲斐あって遅蒔きながら大分挽回しました。」

「そして芸大の芸術学科という所の存在を知ったのです。アカデミックな美学・美術史から実技まで、割にレンジ広くできる、文学部系にない面白そうなところだと思って。その頃、早稲田の政経学部にドイツ近代美術を中心に旺盛な批評活動をされていた坂崎乙郎先生がいらっしゃいました。残念ながら早世されましたが(1928−85)ずいぶんと僕も著作を読んでいたので、お目にかかったときに色々とご相談したら、芸大の芸術学科を薦めてくださったということもありました。実際、入学してから分かったのですが(そんなものですよねぇ―笑)、西洋美術史では当時はもう吉川逸冶先生は退任されていたものの、柳宗玄先生、摩寿意善郎先生、辻茂先生などそうそうとした方々が教鞭をとっていらっしゃって他にも佐々木英也先生、若桑みどり先生、友部直先生などの多彩な授業を受講できました。」

「そしてたまたまウチの傍に藝大出の画家の方がいらして、その方が「芸大に入りたければ自分が指導して入れてやる」と言ってくださって、ほぼ半年間、夜から朝方まで徹底的にデッサンの指導を受けました。ふらふらになるまでやりましたね。朝家に帰ってそれから学校へ行っていましたから何時寝てたんでしょうね・・・。若いというのは凄いですね(笑)。結果、芸大に現役入学した時には学校中に衝撃が走ったらしいです。「ナゼ、あの高橋が・・・」(笑)と言うわけで。」

【秘蔵写真】

1965年(?)夏ヴィエトナム、サイゴンにて撮影された一枚。左は高橋館長のお母様だそうです。

Tak「大学入学後は、絵画よりも芝居や演劇に興味があったようですが、今、演劇とか観に行かれることはありますか?」

「この仕事に就いてからはなかなか無いですね。でもたまには。きっと静的な作品だけでなく、元々動きがあるものも好きなんでしょうね。だからサッカーのようなものも大好き。ワールドカップ開催されると寝不足になって困ります。」
※このお話伺った時、丁度W杯南アフリカ大会の真っ最中でした。(よって先生も自分もかなり寝不足気味でした…)

Tak「その後、藝大大学院修士課程を修了し、国立西洋美術館に勤務なされるわけですが。。。」

「学芸員の仕事には、しっかりとした学問的な裏付けが不可欠なんだけど、一方で演出家的、プロデューサー的な要素も必要。デザインセンスとか、人間のマネージメント力なども必須ですよね。そういう意味で総合力が問われる仕事でとても面白いという気がしました。」

Tak「オルセー美術館準備室に在籍されていらっしゃった唯一の日本人ですが、立ち上げに際しどのようなお仕事をなされたのでしょう?」

「そんな大それた仕事はしていません。もう僕が着任した頃は新しいオルセー美術館コンセプトの大枠は出来あがっていて、あとは様々なディテールに入っていましたから。」

「オルセー美術館開館後のプログラムで大々的な「ジャポニスム展」を計画していたので、それを手伝ったり(1988年、国立西洋美術館にも巡回)、国立西洋美術館の松方コレクションに関する資料の整理・調査をしたりしていました。とにかく立ち上げのせわしい時期で、仕事場の引越しも相次いでいたので、落ち着かなかったですね。」


芸術新潮 2010年 07月号
オルセー美術館特集号のナビゲーターは勿論高橋先生です!

「但し、開館前のあの時期に数少ない外国人として立ち会えたことは幸運だったと思います。スタッフも皆若かったし、ある意味、その時の人脈があって一号館美術館の「マネ展」に至る、僕が手がけた展覧会の多くもも成立にこぎ着けられたわけです。現オルセー美術館館長のギ・コジュヴァルは未だペーペーの見習いみたいな感じで隣で働いていたし、現ルーヴル美術館館長のアンリ・ロワレットや今回も一緒にマネ展を手がけたカロリーヌ・マチューなんかも本当に溌剌として仕事をしていたし。一種の美術館の青春時代ですよね。」

Tak「その経験が三菱一号館美術館のオープンに生かされているとか?」

「まぁ、ある意味そうかもしれません。既存の建造物を美術館に変えていくなんて共通点あるしね。三菱一号館美術館も元々は明治のオフィスビルだから、そうした変換作業の経験が生かされていると言えなくは無い。
ただ、本来大きな駅だった建物を美術館に変えたオルセーよりも、ここ(三菱一号館美術館)はオルセー以上に面倒だったことも事実です。」


三菱一号館美術館館内
その他、三菱一号館美術館の成り立ち及び館内の様子はこちらの記事で。

「オリジナルの建物になかった空調等を入れたり、レンタルオフィスだったので上下方向のの縦動線を水平移動の横動線にしたり、そうした変換はオルセーとも共通している作業ですが、オリジナルの建物がいったん消滅してしまっているので、それをまず徹底的に復元しなければならないという大きな制約があった。オルセーの場合は、少なくとも内部は縦横無尽に手を入れて改変するわけで、とても自由でした。」

「一号館では小部屋の間取りや間口の大きさ、天井高は全く変えられないし、床も当時と同じ松材を使用しているのでえらく靴音が響いたり。(靴音がうるさいというクレームが多い)、完全に美術館仕様にはしたくても出来ないんですね。その辺の経緯は(美術館とした経緯)をきちっと理解してもらいたいと思いますが、それにはこちらももう少しきちっと来館する方々に説明する必要があると思っています。。」

Tak「そうなると三菱一号館美術館で開催する展覧会の内容も絞られてきますね。」

「実際前回の「マネ展」は作品を多く出し過ぎた感もあるので、もう少しコンパクトな規模で、切り口のユニークなテーマの展覧会が開催出来ればいいと思っています。」

「例えば、あの好評を博した「ラ・トゥール展」などまたここでテーマを変えて開催してみたいけど(注:高橋館長はかつて国立西洋美術館にいらした頃「ジョルジュ・ラ・トゥール展」を実現させた)、言うは易しで、なかなか実現は難しいですよね。でも、いろいろ考えているところです。。」

参考高橋明也氏(「コロー 光と追憶の変奏曲」展監修者)に伺う展覧会の見所



Tak「実際には何年後までの展覧会を企画されているのでしょうか?」

「今のところ2013年春までは大体プログラムに乗ってきています。具体的に決定しているのは2012年までです。1つの展覧会を開催するのに3年、長い時で5年はかかりますから、それを考えればそろそろ、開館3周年展、5周年展も視野に入れなければならないと思っています。」

「この美術館では基本姿勢として、学芸員自身が積極的に関心をもってコミットできる展覧会の企画、というごく当たり前なことから出発しようとしています。特に海外の美術を扱う場合、日本ではなかなか学芸員が前面に立って企画の立案や交渉、カタログの執筆などをすることは難しい場合が多く、よく海外の学芸員から「共同作業をする相手としての日本の美術館員の顔が見えない」という嘆きを聞きます。ですから、国外の美術館とも同じ土俵に立って対等な関係で協力して仕事ができるような美術館でありたいと思っています。ウチのような比較的小規模な美術館は(現在学芸員4名)、年間3-4本の企画展全てに大きな労力を割くことはマンパワー的にも難しいので、色々なヴァリエーションは付けてプログラムを組んでいるところです。」

「でも、少なくとも当分の間は、いわゆる「ブロックバスター」と呼ばれる巨大投資・大量回収の大規模パッケージ展はなるべく避けたいと思っています。色々な意味でのコストパフォーマンスは良いかもしれませんが、新しいテーマにチャレンジする楽しさは求め難いし、美術館自身にノウハウがほとんど残りませんから。いずれにせよ、一号館美術館のスペースは決して大きく無いので、大規模企画はやりたくてもなかなか難しいという現実がありますけれどね(笑)。」

「ただ、一号館美術館のテーマである「近代都市と美術」とか、「東西交流」あるいは「市民社会・産業社会」「都市生活の中心としての美術館」などという視点は是非とも外さないようにしていきたいと考えます。とりあえずは19世紀を中心に西洋近代美術を扱っていきますが、いつかはグローバルな意味でのコロニアル、ポスト・コロニアルな状況の中での近代美術、近代全般を扱えたならな、というのが、かつてアジア・アフリカとヨーロッパという二つの世界を同時に垣間見た僕の密かな願望なのです。」


さて、まだまだ高橋館長の興味深いお話は続きます。今日はひとまず、この辺で。また数日後に「後半」をアップする予定でいます。後半は更に突っ込んだ話となっています。

→『美術史家に聞く』第三回:高橋明也先生(後編)

開館し大変お忙しい中、貴重な時間を割いて頂きインタビューに応えて下さった高橋館長に感謝感謝です。それでは「後半」もまたお楽しみに!

素人仕事で上手くまとめられていませんがご勘弁あれ。

高橋館長にコメントお寄せ下さい!!

開催中の展覧会

三菱一号館美術館開館記念展〈ll〉「三菱が夢見た美術館−三菱家と三菱ゆかりのコレクション」
会期:2010年8月24日(火)〜11月3日(水・祝)

【三菱一号館美術館今後のスケジュール】

レンバッハハウス美術館所蔵「カンディンスキーと青騎士」展
会期:2010年11月23日(火・祝)〜2011年2月6日(日)

「王妃の画家ヴィジェ=ルブラン マリー・アントワネットと18世紀の女性画家たち」(仮称)
会期:2011年3月〜5月

「ジャポニスムの立役者たち—欧米で愛された陶磁器・銀器・装飾品」(仮称)
会期:2011年6月〜8月

「トゥールーズ=ロートレック モーリス・ジョワイヤン・コレクション」(仮称)
会期:2011年9月〜11月


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この記事に対するコメント

この記事読んで、早速三菱一号館美術館に行って気ました。

インタビュー後半のアップも楽しみにしています。
わん太夫 | 2010/09/02 3:18 PM
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