青い日記帳 

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美術史家に聞く第五回:宮下規久朗先生(前篇)

拙ブログの中でも圧倒的人気を誇るインタビューシリーズ。その中でも「美術史家に聞く」は毎回多くの方に好評を頂いています。

これまで4名(小池寿子氏、池上英洋氏、高橋明也氏、金沢百枝氏)にお聞きして来ましたが、5回目にして初めて東京を離れ関西で教鞭を執られていらっしゃる宮下規久朗氏に登場願うことになりました。


宮下規久朗(みやしたきくろう)
1963年名古屋市生まれ。美術史家、神戸大学大学院人文学研究科准教授。
東京大学文学部卒業、同大学院修了。著書に、『カラヴァッジョー聖性とヴィジョン』(名古屋大学出版会、サントリー学芸賞など受賞)、『カラヴァッジョ一西洋絵画の巨匠11一』『モディリアーニ モンパルナスの伝説』(以上、小学館)、『食べる西洋美術史」『ウォーホルの芸術」(以上、光文社新書)、『カラヴァッジョヘの旅』(角川選書)、『刺青とヌードの美術史』(NHKブックス)、『裏側からみた美術史』(日経プレミアシリーズ)など多数。

《写真はローマ、サン・ヴィターレ聖堂前で撮影されたものです。》

宮下先生が昨年(2011年)12月に上京された際に都内のカフェでインタビューさせて頂きました。たっぷり一時間お話伺うことが出来ました。美術お好きな方もそうでない方も示唆に富む内容となっています。じっくりとお楽しみ下さい。

Tak「先生が美術に興味を持たれたのはいつ頃のことでしょう。」

宮下「美術に関心を持ったのはかなり小さい頃からです。家には美術の本もなく、美術館に連れて行ってもらったこともなかったのですが、小さい頃から絵を描くのが好きでした。通っていたのは田舎の小学校の分校で、およそ文化のかけらもないような環境で、図書館にも本がほとんどなかったのですが、あるとき突然、アーネスト・ラボフ編の(今でも出版社を変えて出ていますが)子供向けの画集のシリーズ十数巻が入り、廊下にずらりとそれらの表紙が張り出されたのです。ミケランジェロ、ラファエロ、レンブラント、ルノワール、シャガールといった巨匠たちの名前をはじめて見て、このシリーズを順番に食い入るように見たものです。それが美術の名作との出会いでした。」

Tak「その当時はどんな画家に興味を持たれたのでしょう。」

「その中ではアンリ・ルソーに強く惹かれました。それはきっと自分が絵を描いていたからだと思います。子ども心にも、木の葉をきちんと一枚一枚描くようなルソーの絵なら自分でも描けると思ったのです。実際、ルソーばりの絵をたくさん描きました。」

「他にはベラスケスが問答無用に凄いと思いました。今でもベラスケスは世界最高の画家だと思っていますが、小学校のときから、ベラスケスの画集はいつまでも見飽きませんでした。」


Michelangelo Merisi da Caravaggio「Cena in Emmaus」

Tak「宮下先生と言えばカラヴァッジョですが、彼に関心を持ったのはいつ頃だったのですか。」

宮下「1975年頃、日曜日の早朝に映画監督の吉田喜重さんが手掛けた「美の美」というテレビ番組を放送していました。そこで初めてカラヴァッジョに出逢ったのです。吉田喜重さんが2回ほどにわたってカラヴァッジョの作品を訪ねて歩き、ぼそぼそとした声でカラヴァッジョの生涯を解説していました。殺人を犯して逃亡したことを知り、衝撃を受けました。40年近く前ですが、今でもあの番組を見た時の衝撃は忘れられません。」

「カラヴァッジョについてもっと知りたいと思い、町の図書館に行ったのですが、画集はなく、司書さんも探してくれたのですが、断片的な事しかわかりませんでした。それでも、『大系世界の美術』に載っていた白黒の図版をスケッチブックに鉛筆で模写したりしました。まだ故若桑みどり先生のカラヴァッジョの本が出る前のことでした(カラヴァッジョ学の先輩である若桑先生には後に大学院時代に指導を仰ぎ、非常にお世話になりました)。」

Tak「美術に関わる仕事に就きたいと思ったのもその頃でしょうか。」

宮下「そうですね、小学校6年生のころに高階秀爾先生の『名画を見る眼』(岩波新書)を読み、美術を研究するこういう学問もあるのか、と漠然とした憧れを抱くようになりました。」

「中学生になると自分には画家としてやっていくような絵の才能がないと思い、その道は諦め、美術を研究したり、美術館で働いたりしたいと思うようになりました。中学生の時から学芸員になりたいと思う子どももなかなかいないと思います(笑)」


大阪市美術館「プラド美術館展」会場で解説をなさる宮下先生(2006年)

Tak「東大の文学部を目指したきっかけは何だったのでしょう?」

宮下「ひとえに高階秀爾先生に教わりたいという想いからです。私は本を読むことも文章を書くことも好きな文学少年でもあったので、高階先生の文章の明快さや安定感に惹かれました。高階先生が東大にいらっしゃるので、東大に行かないといけないのだと思いこみ、中学の途中から真剣に勉強を始めました。私は名古屋市郊外の瀬戸市の片田舎で育ったのですが、当時まだ名古屋にはまともな美術館がなく、得られる情報も貧弱だったので、とにかく東京に出たいと思ったというのもあります。今では愛知県美術館も名古屋市美術館もあるし、前者にはきわめて充実した日本一の美術図書館もあるのですが、当時は名古屋には大きな展覧会は巡回してこないので、いつも不満に思っていました。」

Tak「それでは高校時代から熱心に勉学に励んだわけですね。」

「東大を目指したとはいえ、もともと勉強、とくに理数系科目は苦手だったし、もし美術史に目覚めていなければ、絵ばかり描いて最初から勉強なんてほとんどしなかったと思います。昔から美術史畑一筋なんです。とはいえ、進学した高校では学校の雰囲気になじめず、勉強よりも読書にふけっていました。図書部長兼図書委員長になったのですが、その職権によって、高価な美術全集や美術本を大量に買いそろえてもらいました。同時に好きだった俳句や短歌、漢詩の全集なども次々に買ってもらい、図書室にこもりきりになっていました。歴史学のおもしろさに目覚めたのもこのころです。授業をさぼって近所にあった徳川美術館でぼおっと過ごすこともありました。」

「それで当然のことながら現役のときは受験もまったく歯が立たず、上京して駿台予備校の寮に入り、あえて美術も読書も我慢して数学ばかりを必死に勉強し、一年後にやっと東大に入りました。予備校で実にすばらしい先生や講義に出会い、また生涯の親友も得たので、浪人してよかったと思ってます。大学院時代にはアルバイトで予備校で世界史の講師をして話術を鍛えられましたが、今にいたるまで、自分が講演をしたり教壇で話したりするときにずっと目標としてきたのが、予備校で受けた見事な講義です。美術史をあんなふうに感動的な語りにできないものだろうか、といつも考えます。さらに関西に行ってからは、笑いをとることがいかに大事かを学び、日々実践しています。」

Tak「大学ではどのような勉強をなされたのでしょうか?」

宮下「期待して入ったものの、最初の二年間は教養課程で美術史の授業がまったくなく、どの講義も退屈きわまりないものでした。期待が大きすぎたせいか、あるいはその前に通っていた予備校の講義がおもしろすぎたせいか、失望が大きかったです。ただ、1,2年生向けに開かれていた英文学者の由良君美先生のゼミで美術について発表できたり、知的な刺激を得られたりしました。この先生については、最近、四方田犬彦氏が『先生とわたし』(新潮文庫)という本に書いていますが、伝説の由良ゼミの最後の雰囲気にふれることができたのは幸いでした。」

「あと、あちこちの美術館を回ったり手当たり次第に本を読んだりもしましたが、同時に若気の至りで、遊びやサークル活動(詩吟など)にも夢中になり、酒の味を覚え、かなりの時間を浪費してしまいました。イタリア語やフランス語は細々と勉強していましたが、あのときドイツ語をもっと勉強していたら、その後ラクだったろうにって悔しく思います。」

Tak「本格的に美術について学ぶようになったのはその後ですね。」

宮下「3年生になってやっと美術史学科に進学すると、あこがれの高階先生をはじめ、古代ローマ美術の青柳正規先生がおり、最近亡くなった中世美術の辻佐保子先生も出講されており、日本美術史の辻惟雄先生や河野元昭先生、中国美術史の戸田禎佑先生など、これ以上ないほど充実した教授陣で、講義やゼミに熱中しました。先輩方や同輩たちにも大いに教えられ、美術史の勉強が楽しくて仕方ありませんでした。」

「そのうちに日本で本物を見る機会の少ない西洋美術よりも、実際にすばらしい作品にふれられる日本美術や中国美術を研究することの面白さに目覚め、その道を極めたいと思うようになりました。台湾の故宮博物院に行って中国絵画に深く感動したり、東京国立博物館の会員になって常設展に足繁く通ったりしたものです。京都奈良にも年に数回は訪れて古社寺をくまなく見学しました。」

「同時にモダン・アートにも興味を持ち、当時全盛期だった西武美術館、後のセゾン美術館(「ボイス展」は衝撃的でした)や銀座のギャラリー、水曜日は夜間まで開いていた大好きな原美術館へも頻繁に通いました。現代美術に携わる仕事もいいなと思いました。」

Tak「でも卒論はカラヴァッジョですよね?」

宮下「そうなんです。大学3年生の終わりにヨーロッパへ渡り、シチリアやマルタ島まで行ってカラヴァッジョの足跡を辿り、やはり自分の原点でもあるカラヴァッジョで卒論を書こうと。その後当然のように大学院に進みましたが、修士論文もカラヴァッジョでした。あまりにカラヴァッジョにのめりこんだので、修士論文の口頭試問のとき、中国美術史の小川裕充先生に「おまえはカラヴァッジョの生まれかわりか!」なんて言われてしまいました。」

「大学院に行くとすぐに語学研修の名目でシエナに行き、半年間イタリアのあちこちに行きましたが、楽しかった半面、文献ばかりながめて研究を重ねるよりも、一刻も早く美術の現場へ出たいという気持ちがわいてきたんです。」

Tak「卒業後最初の就職先はどこの美術館だったのですか?」

宮下「大学院の修士課程を終えてすぐに神戸にある兵庫県立近代美術館へ学芸員として就職できました。神戸にはそのとき初めて来たのですが、それまでに京都や奈良には何度も来て、関西によいイメージを抱いていたので、喜んでやって来ました。実際に住んでみると関西は名古屋とも東京ともまるでちがう異文化の地だと思い知ったのですが。「シャガールのシャガール展」、「オディロン・ルドン展」、「アメリカ絵画の200年展」といった、新聞社と共同開催して他の美術館にも巡回する海外展を主に担当しましたが、このときに巡回先の美術館のベテラン学芸員や新聞社の事業部の人たちといっしょに仕事したのが、大きな勉強になりました。」


宮下先生が初めて担当された「シャガール展」の展示中。ポンピドーセンター学芸員のボーメルさんと(1989年)

「しかし、美術館でも西洋美術史の研究を続けるつもりだったのですが、驚いたことに資料がほとんどないのです。特に研究するのに不可欠な西洋の学術雑誌をとっていないのがショックで、関西にはまったく知り合いもいなくて、大学図書館も利用できませんでした。今のようにネット環境もないし、ここにいても西洋美術史の研究はできないと痛感しました。」

Tak「結局何年ほど兵庫近美にはいらしたのですか?」

宮下「3年半です。研究環境は不完全でも、美術館では学芸課長だった故中島徳博さんをはじめ理解のある上司や同僚に恵まれ、生意気なだけだった私は多くのことを学びました。とくに私の隣の席に木下直之氏がいらしたことが大きかったです。彼は後に東大の文化資源学講座の初代教授になりましたが、私のもっとも大事な師匠です。彼から日本近代美術のおもしろさを学び、彼の企画した「日本美術の19世紀」展という展覧会を副担当としてお手伝いしたのが、いちばんよい経験でした。」

「幕末明治の混沌とした時代の美術に深入りして、『三彩』という雑誌に「裸体表現の変容」という長い論文を書いたのですが、これが私のデビュー論文になりました。その時の論文を後に発展させて、2008年に刊行したのが『刺青とヌードの美術史』(NHKブックス)で、この本は私の兵庫近美時代の総仕上げみたいな産物なんです。」


兵庫県立近代美術館職員旅行 故中島徳博学芸課長と(1989年)

Tak「そしてその後、東京へ移られたのですね。」

宮下「はい。東京都現代美術館に学芸員として4年弱いました。といってもほとんどの期間が準備室で、新しい大美術館の開館準備という殺気立つほど忙しい職場でした。やはり職場は研究できるような環境ではなかったのですが、東京にいるといろいろな情報や資料にアクセスでき、様々な研究会や学会にもできるようになり、西洋の近代美術史を研究しました。」

「準備室ではあまり貢献できなかったのですが、新収蔵品の収集に携われたのがよかったです。例のロイ・リキテンスタインの《ヘア・リボンの少女》の購入が提案されたとき、ニューヨーク近代美術館で開催されていたリキテンスタインの回顧展を見に行き、この作品がポスターやグッズになっているのを見て、学芸課長だった故矢口國男さんや同僚たちに強く購入を訴えました。当時は6億円という価格が「高すぎる」と批判もされましたが、あの作品がなかったら、美術館は目玉を欠いた寂しい状況になっていたでしょう。私は今でも家にあの絵のポスターやグッズを大事に飾ってあります。」

Tak「その他、企画され思い出に残っている展覧会等ありますか?」

宮下「「アンディ・ウォーホル展」や荒木経惟(アラーキー)の展覧会なども企画担当しました。学生時代に現代アートを観ていた経験が生かされたのですが、ウォーホル展がらみで何度かアメリカに出張させてもらい、ちゃんと研究できたことが、後に2010年の『ウォーホルの芸術』(光文社新書)に結実しました。この本は私の都現美時代の宿題のようなもので、15年ぶりにやっと果たしたと思いました。」


東京都現代美術館開館当時 アラーキーとモデルさん(1995年)

Tak「学芸員をなさって良かったことをお話し下さい。」

宮下「「学芸員は10年やって一人前」と言われ、7年の経験では中途半端なのかもしれませんが、とてもよい経験になったのは確かです。研究だけでなく、展示作業や作品の貸出し交渉、教育普及事業や印刷物のレイアウト、ロゴマークやミュージアムグッズの作成、苦手な会計・予算関係の各種の資料作りなど、美術と美術館にまつわる実に様々な体験ができました。」

「優秀な同僚や仕事仲間からもいろいろなことを教わり、刺激的で貴重な体験をすることができました。大変だったけど、若かったせいもあって楽しかったです。」

「そんな経験もあって、美術史の道を志す学生には、専門にこだわらず、どこでもいいからまず学芸員になるべきだと勧めています。私の教え子もすでに何人も学芸員になりましたが、彼らが各地の美術館で活躍しているのを見るのはうれしい限りで、教師冥利に尽きます。」


「ウォーホル展」会場にて 東京都現代美術館(1996年)

Tak「MOTをお辞めになり、現在のお仕事(神戸大学准教授)に就かれたのですね。」

宮下「なぜか縁もゆかりもなかった神戸にまた戻ってきてしまいました。しかし、二度目の神戸は震災の直後で、バブル時代のにぎやかだったかつての雰囲気とはかなり違うものでした。私はちょうど神戸の大震災のときだけ東京にいたことになり、よく「悪運の強いやっちゃ!」と言われます。結局、もう神戸は20年目になり、故郷の名古屋よりも長くいることになってしまいました。」

「余談ですが、1989年 に神戸の美術館にいたころ、「オディロン・ルドン展」を担当しました。巡回先は、東京国立近代美術館、兵庫県立近代美術館、愛知県美術館という、私のこれまで歩んできた3つの都市を巡回した展覧会ですが、黄色い帆船の絵のついたそのポスターには、Tokyo,Kobe,Nagoyaと書いてあり、私の歩みを表しているようでおもしろく、机の横に飾ってあります。」

Tak「大学へお勤めになりご自身の研究に変化はありましたか?」

「神戸大では優秀な学生と研究環境に恵まれ、ずっと留守にしていたイタリア美術史の研究を再開し、カラヴァッジョだけでなく、ティエポロやベルニーニなど、イタリア・バロック美術全般の研究に打ち込みました。それまで日本近代美術や現代美術にどっぷりつかっていたので、以前よりもイタリア美術のすばらしさが実感でき、研究に身が入りました。学芸員時代は一度も行けなかったイタリアにも毎年行き、ローマには一年間滞在することができ、カラヴァッジョについていくつも論文を書いたり学会で発表したりしました。」

Tak「カラヴァッジョ熱再び!ですね(笑)」

宮下「2001年には日本ではじめての「カラヴァッジョ展」に関わることができました。東京都庭園美術館と岡崎市美術博物館の2館で開催したのですが、意外にも大好評で、東京展の最後のころには40分も待ち行列ができたのには驚きました。カラヴァッジョは日本ではマイナーだと思っていたのですが、そうでもないなと認識を改めました。このときいっしょに仕事した朝日新聞の企画部やカタログ制作会社の人たちはみな学芸員時代にお世話になった人たちだったこともうれしかったです。」

「2004年に、それまでのカラヴァッジョ研究の成果をまとめた『カラヴァッジョ 聖性とヴィジョン』(名古屋大学出版会)という本を上梓しました。幸い、この本はサントリー学芸賞や地中海学会ヘレンド賞をいただきましたが、それがきっかけで、『カラヴァッジョへの旅』(角川選書)や『カラヴァッジョ巡礼』(新潮社)など、その後カラヴァッジョの本を4冊も出すことができました。」

「昔、この分野に興味をもったとき、日本でほとんど本がなくて、残念だったことを考えると、カラヴァッジョやイタリア・バロックの本をたくさん書くことができて、日本でこの分野のことを広めるのに少しは貢献できたのではないかと多少自負しています。」

以下、後篇に続きます。

昨年(2011年に発売された「芸術新潮」の中で断トツの売り上げだったベェネツィア特集号。水先案内人は勿論、宮下規久朗先生!


芸術新潮 2011年 11月号

続きはこちらで!
美術史家に聞く第五回:宮下規久朗先生(後篇)

【美術史家インタビュー記事】

『美術史家に聞く』第一回:小池寿子先生
『美術史家に聞く』第二回:池上英洋先生
『美術史家に聞く』第三回:高橋明也先生(前篇)
『美術史家に聞く』第三回:高橋明也先生(後篇)

『美術史家に聞く』第四回:金沢百枝先生(前篇)
『美術史家に聞く』第四回:金沢百枝先生(後篇)


「展覧会の仕掛け人に聞く」(前篇)
「展覧会の仕掛け人に聞く」(後篇)

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