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「我ら明清親衛隊」

板橋区立美術館で開催中の
江戸文化シリーズ28「我ら明清親衛隊〜大江戸に潜む中国ファン達の群像〜」展に行って来ました。


板橋区立美術館

今年の3月で定年退職される安村敏信館長が手掛ける最後の「江戸文化シリーズ」。安村館長が就任した翌年の1980年(昭和55年)に江戸文化シリーズで最初に取り上げたのが「柴田是真」


江戸文化シリーズ1「柴田是真展」板橋区立美術館
1980年

今でこそ、是真の名は美術ファンに知られていますが、30年以上も前に是真を単独で紹介する展覧会を開催しちゃおうと考えたこと自体凄いことです。

しかも実際に開催し、それをシリーズ化して28回も続けているのですから、安村敏信館長のその先見の明には、あらためて驚きを禁じ得ません。


安村敏信館長
(1986年に板橋区立美術館が開催した江戸文化シリーズ7「宋紫石とその時代 〜中国渡来の写生画法〜」のポスターをバックに)

今回の江戸文化シリーズ28「我ら明清親衛隊〜大江戸に潜む中国ファン達の群像〜」では宋紫石(そうしせき)の作品が93点中9件(前後合せて)も出ています。ここにひとつこの展覧会のポイントがあります。
日本の美術は、歴史的に中国美術の影響を受けながら成立してきました。18世紀半ば、江戸時代半ばを過ぎると、中国から長崎を経由して大江戸に流入した明清(みんしん)の美術・文化が画家たちを改めて刺激し、新たな美術上の潮流を生みだします。
清の絵師・沈南蘋(しんなんぴん)が長崎にやって来たのが1731年のこと。僅か2年間の日本滞在だったにも関わらず、後に「南蘋派」と呼ばれる一大勢力を築かせるほど彼の日本画に与えた影響は計り知れないものがあります。

沈南蘋が伝えた、当時の中国絵画としては別段珍しくもなかった写生的な花鳥画の技法は、室町から江戸初期の勢いが無くなり「停滞期」を迎えていた日本の絵師にとって、キラキラ光る宝石のように輝いて見えたに違いありません。

宋紫石(1715年〜1786年)は、その沈南蘋の弟子である熊代熊斐(くましろ ゆうひ)の更に弟子にあたります。つまり孫弟子です。

因みに、伊藤若冲(1716年〜1800年)と、ぴたりと活躍した時期が重なります。(円山応挙、長沢芦雪、曾我蕭白といった近年つとにメジャーとなった絵師たちも勿論)

京都画壇で18世紀後半に活躍した若冲や応挙のことをもっと知りたくなり、調べていると「沈南蘋、熊斐、南蘋派、長崎派」等の言葉が出て来たかと思います。

そう、つまりこの展覧会は、現在注目の的となり日本美術界のスター的存在となった若冲や応挙といった京都画壇の絵師たちの「次」のスターに光をあてんとする意図もあるのではないでしょうか。10年、20年先を見据えた安村館長のことですから。


宋紫石「清影搖風図屏風

激しい風に煽られつつも耐える竹を描き、礼節を守る文人の気概を示した力強い作品は目にしたことはありますが、この宋紫石の描いた「清影搖風図屏風」は余白と空間の妙を生かしまるで生き物のように竹が表されています。

展覧会のチラシでこの小さな図版を見た時にビビッと電流が身体中を走る衝撃にうたれ、どうして何としてでも実物が見たくて見たくてしかたありませんでした。

画像でも少し分かりますが、竹の「背景」に薄い青色のラインが数本陰のように引かれています。僅かですがこれにより作品に奥行きが出来、より深い味わいの作品となっています。沈南蘋のベタな写生画に等伯の「松竹図屏風」に見られる奥行きをミックスし独自性を出しています。


田中益信「玉取り竜宮のてい
神戸市立博物館蔵

また、この展覧会のイントロダクションでは、中国の蘇州版画が日本の浮世絵に与えた影響について丁寧に読み解きがさなれています。蘇州版画も一点展示されています「蘇州景 新造萬年橋」。

西洋の遠近法は、オランダから出島経由で直接伝わったものと、中国の蘇州版画を経由して日本の浮世絵に影響を与えたという2つのルートが考えられるそうです。


我ら明清親衛隊〜大江戸に潜む中国ファン達の群像〜
会期:2012年12月1日(土)〜2013年1月6日(日)
開館時間:午前9:30〜午後5:00(入館は午後4:30まで)
板橋区立美術館
古美術展Twitterアカウント
@edo_itabashi


次回展「狩野派以外も大賑わい」は館蔵品展ですが、これがまた力の入った展覧会となるそうです!
会期:2013年2月23日〜3月24日
入場無料

昨年開催した「江戸民間画工の逆襲」展で陳列できなかった狩野派以外の作品を全て公開することによって、当館が所蔵する江戸狩野派以外の作品の幅を知っていただく。
室町時代の画僧雪村から始まり、宮廷に仕えた土佐派、御用絵師のやまと絵派である住吉、板谷家の作品、その他南蘋派、浮世絵派、抱一派、文晁派、諸派の作品を経て、幕末・明治に活躍した漆工芸家で画家でもある柴田是真で終わります。


Twitterやってます。
@taktwi

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 日本の美術は、歴史的に中国美術の影響を受けながら成立してきました。18世紀半ば、江戸時代半ばを過ぎると、中国から長崎を経由して大江戸に流入した明清(みんしん)の美術・文化が画家たちを改めて刺激し、新たな美術上の潮流を生みだします。その新潮流が、江戸に本格的な民間画壇を成立させる要因の一つとなりました。

 庶民向けの浮世絵版画の世界では、西洋の遠近法を取り入れた蘇州版画(そしゅうはんが)の風景表現により、遠近を強調した浮絵(うきえ)の発生が促されたと考えられます。ついで清の絵師・沈南蘋(しんなんぴん)が長崎に来舶し、これまでにない写実的な花鳥図を精緻な彩色で描いたことで、後に南蘋派(なんぴんは)と呼ばれる画風が江戸で大流行します。ここに版画ではなく肉筆画を主流とする民間画工が登場したのです。南蘋派の影響の大きさは、狩野派にも沈南蘋の作品を模写した例が見られることや、武家の藩主にも自ら南蘋風の絵を描くものが現れたことからもうかがわれます。さらに谷文晁とその一門は、明清の絵画を咀嚼し、江戸の好みに合わせた表現を模索しました。

 本展では、明清の美術に影響を受けて熱中した当時の様相を探り、いかに多くの絵師たちが中国美術に憧れていたかを概観します。江戸における明清絵画の親衛隊たちの知られざる活躍をご覧ください。

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