青い日記帳 

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「五百城文哉展」

東京ステーションギャラリーで開催中の
甦る明治の洋画家「五百城文哉展」―咲き競う百家百草―に
行って来ました。



五百城という姓も初めて知り、
五百城文哉という画家が居たことも、また初めて知りました。

五百城を「イオキ」と読むこともまた初めて知り、
五百城文哉の百回忌に今年があたることも当然初めて知りました。

そして、そんな昔に海外から高い評価を受けていたことを初めて知り、
ボタニカル・アートの先駆者的存在であるとこれまた初めて知りました。

とにかく、初めてづくしの展覧会です。

これだけで驚いてはいけません。
イオキブンサイの絵は「凄い」です。

世の中けなす言葉やマイナス表現の言葉は多くありますが
中々褒め称えるプラスの言葉がありません。
私もついつい「凄い」という単純な表現を使ってしまうのですが、
彼の作品は問答無用に凄いです。

百聞は一見に如かず。
以下の二枚の作品をご覧あれ。


ミヤマモジズリ(ラン科)」


イワウチソウ(イワウメ科)」

これらは「高山植物写生図」全94図のうちの2枚です。
「バラの画家」と呼ばれるルドゥーテの作品も
正確に植物を観察し詳細に写生して見事に表していますが、
五百城文哉の場合はその一歩先を行っています。

単に植物だけを標本的に写生するのではなく
その植物が実際に自然の中でどのように生えているか
周囲の風景をも一緒に見事に描いています。

94図全て違う場所で違う視点から描かれており、
風景画の中にあくまでも自然に生きている草花を
ありのままに表現してくれています。

その腕前は「晃嶺群芳之図」や「御花畑図」などの
作品に生かされているように思えました。

屏風絵の「百花屏風」はガラスケースの仕切りが
邪魔をして全体を見渡せなかったのがちょっと残念でした。

それでも、暑い夏の日に改札から出て徒歩1分で行ける
この美術館で今まで日本人であってもほとんど知ることなかった
偉大な画家さんの素晴らしい作品を観ることができるのですから
行かない手はありません。28日までです、是非。

それと・・・
おまつ像」という作品は窓際に腰を掛け
手紙を読んでいる着物姿の女性を描いた作品ですが、
フェルメールの作品と一瞬だぶって見えました。
会場で確認してみて下さい。
五百城文哉は水戸藩士の子として幕末の文久3(1863)年に水戸に生まれ、明治39(1906)年に満42歳の若さで日光に没した明治の洋画家です。
幼少時代を水戸で過ごした文哉は、上京して明治17(1884)年に農商務省山林局において標本を描く仕事に就きました。また高橋由一の私塾に入門し、本格的に洋画を学び、東京府工芸品共進会(明治20年)に出品、第3回内国勧業博覧会(明治23年)には褒状を得ますが、同年、農商務省を退職、画壇にも背を向け旅の生活に入ります。そして、土地の名士たちの肖像画を描いて画料を得ながら地方を巡り歩く、漂泊の生活を送りました。
その後、明治25(1892)年には〈日光東照宮陽明門〉(焼失)を制作、翌年にその作品はシカゴ・コロンブス万国博覧会に出品されました。こうした縁あって文哉は日光に落着き、晩年の十数年をここで過ごしました。日光では、目の肥えた外国人によって求められ、多くの作品が海外に持ち出されました。そして、彼の水彩画が、その当時から海外で高い評価を受けていたことが、最近になってあきらかになっています。また自宅の庭に高山植物を栽培(ロック・ガーデン)するなど自然研究にも打ち込み、植物学者・牧野富太郎とも交流しました。彼の植物画は、いわゆるボタニカル・アートの先駆的存在といえるでしょう。さらに、彼は〈百花屏風〉〈晃嶺群芳之図〉などの、桃源郷を思わせる、独特な細密植物画の世界を生み出しました。
しばしば小杉放菴の回想に師文哉の思い出が語られ、その名が知られながらも、画業や作品が紹介される機会は多くはありませんでした。本展は彼の百回忌にあたる今年、その画業の全貌を紹介しようとするもので、彼の得意とした日光と高山植物を中心とした水彩画、放浪時代の精密な油彩の肖像画など約150点を紹介します。研究的側面と美術的側面の両方に成果をあげた代表作〈高山植物写生図〉(水彩画)94点も含まれます。
展覧会 | permalink | comments(6) | trackbacks(5)

この記事に対するコメント

Takさん、

「百聞は一見に如かず」という言葉通りですが、Iokiの場合は「零聞」でしたから、私も驚きました。「画家の再発見」ということはもしかしてこういうことでしょうか?

私の感想は、下記です。http://cardiacsurgery.hp.infoseek.co.jp/JA05.htm#050727
とら | 2005/08/02 8:37 AM
@とらさん
こんにちは。

>日本山岳会が創立100年記念事業のひとつとしている
そうなんですか〜
なるほど納得が出来ます。

世の中自分が未だ観たことない画家さんで
溢れているような印象を持たされました。
Tak管理人 | 2005/08/02 9:33 AM
Takさん、こんにちわ

わたしも先日行ってきました。
100年前にこんなふうに描ける作家さんがいたんだな〜と
ちょっと驚きました。

TBさせていただきます♪
けい | 2005/08/07 9:53 PM
@けいさん
こんばんは。

同じ国でいながら
あんな画家さんが居たこと全く知りませんでした。
不覚。

それにしても凄い画家さんです。
私はとっても感動しました。この展覧会。
Tak管理人 | 2005/08/07 11:46 PM
今回は、出直しで、地震の日に当たってしまいましたが、
素晴らしかったです。もう少し、関連グッズがあると、
楽しめたと思います。
お花がさらに好きになりますね。
mari | 2005/08/16 8:09 PM
@mariさん
こんばんは。

地震揺れましたね〜
大丈夫でしたか?
電車また止まるのではないかとヒヤヒヤしました。
こんな日に限って外での打ち合わせがあったりします。

さて、展覧会。
一見地味な展示でしたが、あれがいいのだと思いました。
花を周りが飾り立てることしなくとも。
ひっそりと咲く花をひっそりと描き残した画家さんの
展覧会ですからね。
Tak管理人 | 2005/08/16 10:19 PM
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五百城文哉(いおき・ぶんさい:1863-1906)は、明治の洋画家。漂泊の青春時代ののち、日光に落ち着き亡くなるまで日光で絵を描き続けたという。外国人観光客が彼の水彩画を買い求め持ち帰っていて、当時から海外で高い評価を得ていたのだという。彼の百回忌を期に、画
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