青い日記帳 

TB&リンク大歓迎です!
<< April 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
<< 国立新美術館建築ツアー | main | 「竹内栖鳳と弟子たち展」 >>

「幻の棟方志功展」

大丸ミュージアム・東京で開催中の
「幻の棟方志功―大原美術館、クラレ秘蔵作品より―」に行って来ました。



全くノーチェックだった展覧会です。
先週ブリヂストン美術館で鼎さんとばったりお会いし、
この展覧会のこと教えていただきました。感謝です。

棟方志功と大原美術館がこれほどまでに
深い関係にあったとは知り得ませんでした。

以下展覧会サイトより。
大原美術館の創設者として知られた実業家・大原孫三郎とその息子總一郎は、日本民藝運動の理解者であり、支援者でもありました。棟方は1938(昭和13年)年に倉敷の大原邸を訪れ、渡英中にすでに棟方作品に出会い、深い感銘を受けていた總一郎より、その場で大原邸の襖絵の制作を依頼されます。棟方も「元気な、とても思想の凛然とした若い意欲が、その人の体に光っているような」(棟方志功自伝「板極道」より)總一郎に魅了され、制作を快諾、以後戦時中であるにもかかわらず毎年のように倉敷を訪れ、襖絵や屏風の制作に励み、版画はもとより貴重な棟方の肉筆画が数多く倉敷の地に残ることになりました。深い友情と信頼に結ばれたふたりの協力関係は戦後も変わることなく、互いが世を去るまで続き、棟方は總一郎の的確なアドバイスをもとに次々と名作を生み出し、1963(昭和38)年にはそれらを公開する「棟方志功板画館」(現在、大原美術館工芸館棟方室)が大原美術館内に開設されました。そこでは、總一郎の寄贈作品を中心にした約300点にのぼる名品より、常時約60点を展覧し、国内外からの来館者に棟方芸術を紹介しています。板極道
『板極道』 棟方 志功

大原孫三郎が創業した株式会社クラレの創業80周年を記念して開催された展覧会。多くの初公開の棟方作品が展示されていました。


鷹持妃板画柵」1951年

この展覧会の見どころは↑のような版画は勿論なのですが
何と言っても、大原邸用に描かれた襖絵。

「御群鯉図」
チラシに使われている「風神雷神図」(1943)や「御群鯉図」(1940)は共にはっと驚かされる新鮮さがありました。

「御群鯉図」は単純ですがまるで鯉が目の前で実際に泳いでいるかのような感覚を観る者に与えます。
32匹の鯉が水族館で見る実物の魚たちより本物らしく見えました。
六曲一双の屏風です。

株式会社クラレ所蔵の「梟図」がとても可愛らしかったです。

棟方は梟やミミズクを描くのが好きだったそうです。

ところで、この展覧会宣伝がイマイチなされていませんよね?
主催が毎日新聞社なのでちょいと地味であることは否めません。
これが読売新聞社や朝日だったらもっと多くの来場者数あったはずです。

特に読売ならマスコットの「だっち君」と棟方の「梟図」とコラボして
こんな作品はどうでしょう??
ダメですかね??

おふざけはこの辺までにして、ほんともったいない展覧会です。
大原美術館から竹橋の近代美術館に作品がやはり来ていますが
大丸の方も大原の西洋絵画に勝るとも劣らない魅力に溢れています。
特に版画でなく屏風絵!!

歌々板画巻
歌々板画巻
谷崎 潤一郎, 棟方 志功

また、今回の展覧会直前になって新たな事実が判明したそうです。
それは出展作品である「倉敷レイヨン連絡月報」(クラレ蔵)が
棟方志功の作品ではないことが分かったというのです。


「倉敷レイヨン連絡月報表紙原画」1957〜68年

この作品は棟方の手によるものだとつい最近まで信じられていたそうです。
今回の展覧会カタログやチラシにも棟方の作品として記載されています。
(訂正シールが貼り付けてあります)

大原さんへ棟方が宛てた封書の中にこれらの作品が入っていたそうです。
棟方の作品とタッチなどが大変似ている為、誰もこれを棟方の作品として
現在に至るまで疑わなかったそうです。

ところが今回東京での展覧会が始まる直前になってこれらの作品は、
元女子美術大学学長の柚木沙弥郎氏によるものだと判明したそうです。

10月5日から始まったこの展覧会、残念ながら明日で終わってしまいます。
明日5時までに大丸行ける方は是非。

棟方志功―わだばゴッホになる
棟方志功―わだばゴッホになる
棟方 志功

おまけ

東京駅大丸10階のアートギャラリーで
「ヨーロッパ・世紀末の版画展―ラファエル前派・ミュシャを中心に―」が
開催されていたので、棟方展の帰りに立寄ってきました。



ロセッティ、バーン=ジョーンズ、モローなど1900年代初めに刷られた版画が販売されていました。バルビエの作品が思ったよりも高額だったのにはちょっと驚きました。

これも開催は明日17日までです。
棟方志功は、生涯にわたり、極めて独創的な作品をエネルギッシュに生み出し続け、その土俗性とモダニズムと融合させた作風で「世界のムナカタ」として国際的にも高い評価を得ています。

棟方志功は1903(明治36年)年、青森県に生まれました。男九人、女六人兄弟の6番目で、代々刃物鍛冶を営む実家は貧しく、絵の好きな少年であった棟方も尋常小学校を卒業するとすぐに家業に就きます。仕事の合間に写生する日々を過ごすうち、18歳でゴッホの作品に巡り合い、大きな衝撃を受けます。「わだば、ゴッホになる」― 画家を志して上京し、ゴッホを思わせる油彩画で画壇にデビューした棟方でしたが、23歳で出会った川上澄生の詩情溢れる版画作品に感銘を受け、油彩と並行して版画も手がけるようになります。26歳の折には、油彩作品で念願の帝展入選を果たしますが、生活は苦しく、郷里の新妻も呼び寄せられない状態でした。
しかし、33歳のときに国画会に出展した版画作品が、民藝運動の中心人物であった濱田庄司と柳宗悦の目に留まり、ふたりが「バケモノガデタ、スグコイ」と電報を河井寛次郎に打った瞬間から、棟方を取り巻く状況は一変します。
民藝運動のリーダー達に迎え入れられた棟方は、それまでとはまったく違った環境で、次々と秀作を生み出していきました。
当時、大原美術館の創設者として知られた実業家・大原孫三郎とその息子總一郎は、日本民藝運動の理解者であり、支援者でもありました。棟方は1938(昭和13年)年に倉敷の大原邸を訪れ、渡英中にすでに棟方作品に出会い、深い感銘を受けていた總一郎より、その場で大原邸の襖絵の制作を依頼されます。棟方も「元気な、とても思想の凛然とした若い意欲が、その人の体に光っているような」(棟方志功自伝「板極道」より)總一郎に魅了され、制作を快諾、以後戦時中であるにもかかわらず毎年のように倉敷を訪れ、襖絵や屏風の制作に励み、版画はもとより貴重な棟方の肉筆画が数多く倉敷の地に残ることになりました。深い友情と信頼に結ばれたふたりの協力関係は戦後も変わることなく、互いが世を去るまで続き、棟方は總一郎の的確なアドバイスをもとに次々と名作を生み出し、1963(昭和38)年にはそれらを公開する「棟方志功板画館」(現在、大原美術館工芸館棟方室)が大原美術館内に開設されました。そこでは、總一郎の寄贈作品を中心にした約300点にのぼる名品より、常時約60点を展覧し、国内外からの来館者に棟方芸術を紹介しています。

本展は、大原孫三郎が創業した株式会社クラレの創業80周年を記念して、大原美術館所蔵の代表作を中心に、大原家所蔵の襖絵、屏風などの貴重な肉筆画、またクラレ秘蔵の連作版画、クラレ社内報表紙画の原画(肉筆画)など、初出品や未公開作品を含む50余点で、棟方芸術の真髄をご紹介します。
展覧会 | permalink | comments(6) | trackbacks(5)

この記事に対するコメント

私も棟方志功と大原美術館の関係をはじめて知りました。
というより、大原美術館の性格をはじめて知りました。
子ども部屋にこういう絵があって、育った子どもは、
きっと感性が豊かになるでしょうね。
一村雨 | 2006/10/17 12:01 AM
こんばんは
コメント有難うございました。
で、Takさんの記事を読んでいて「オヨヨ」となったのが
>ところで、この展覧会宣伝がイマイチなされていませんよね?
主催が毎日新聞社なのでちょいと地味であることは否めません。
これが読売新聞社や朝日だったらもっと多くの来場者数あったはずです。

えっそうなの?!という感じです。
神戸では随分沢山のお客さんが来られてまして、ショップの売り上げもホクホクだったようです。

柚木さんの作だと言うことで鼎さんからも詳しい正誤表をもらって「ほほー」と言う感じでした。
なんだか面白いですね。

今回は志功の大和絵に惹かれました。
遊行七恵 | 2006/10/17 12:37 AM
今日も秋晴れです。
コメント、TBありがとうございます。
棟方志功じゃない、クラレの月報紙の表紙絵、あれ、大好きです。
これから年賀状用に版画でトライしようかと勘違いしています。(笑)
民芸館も久しぶりに行ってみたくなりました。

あべまつ | 2006/10/17 10:10 AM
何を勘違いしたか、10/9を最終日と思い込み、10/9に見に世田谷経由で出かけました。
大手町の駅を何とかして欲しい....迷います。
その帰りに、Takさんにあったわけですが、
で、いつ見に行きました?

勝手に最終日だと思い込んだ10/9は、混んでましたよ。
他にも、最終日だと思った人がいたかも

東京巡回の元ネタは遊行さんです。
鼎 | 2006/10/17 9:29 PM
私が観にいった時はそこそこ人がいましたよ。
ミミズク図がよかったです。部屋に飾りたい。
shamon | 2006/10/18 6:53 PM
@一村雨さん
こんばんは。

そうですよねーー
こういう恵まれた贅沢な環境で
是非とも育ってみたかったです。
少しは私も感性豊かになっていたはずです。
育ちは大事です。

@遊行七恵さん
こんばんは。

会場はそこそこの混雑でした。
良い作品があるのでもっと宣伝しても
良かったかなーーと思いました。
「ロダンとカリエール」にあれだけ
力入れたのですからね。毎日さん。

志功の肉筆画って嘘じゃなく
迫力ありますね。迫ってくるものあります。

@あべまつさん
こんばんは。

年賀状の季節ですね。
うちもそろそろ用意しないと。
(^^ゞ
今年は何にしようかな〜と
考えたのはいいけど使えそうな写真がありません。
シンプルなものになりそうです。

@鼎さん
こんばんは。

大手町の駅は一体どれくらいの広さがあるのでしょうね。

>で、いつ見に行きました?
15日の日曜日に行きました。
教えていただいた翌週です。

私が行った日には図録既に売り切れていました。
きっとお客さん沢山入られたのでしょうね。

でも、何故か私が行った時は空いていました。
ラッキーだったかな。

@shamonさん
こんばんは。

ガラガラではありませんでしたけどね。
屏風とか余裕で見られたので。
ミミズク図かわいらしいですよね。
Tak管理人 | 2006/10/18 11:55 PM
コメントする









この記事のトラックバックURL
トラックバック機能は終了しました。
この記事に対するトラックバック
大原美術館と棟方志功の関係がよく分かる展覧会だった。というよりも、この展覧会で大原孫三郎や大原總一郎が倉敷レイヨンの経営者だったことを、恥ずかしながらはじめて知った。棟方志功は、実家に版画が一枚あり、子どもの頃から親しんでいた画家である。(父親は家宝
幻の棟方志功  大丸ミュージアム東京 | つまずく石も縁の端くれ | 2006/10/16 11:57 PM
大丸元町で棟方志功展が開催されている。 大原美術館と言うよりその母体のクラレが所蔵する未公開の大和絵などがメインである。 棟方志功はよく知られているように、多くの愛護者を持っていた。 有名になってからは世界中のフ
幻の棟方志功 | 遊行七恵の日々是遊行 | 2006/10/17 12:30 AM
かねてより気になっていた、棟方志功展。久しぶりに友達のところに電話して、東京大丸に行こうよと誘ったら、何いってるのよ、そのチケットあるから今、電話しようと思ってたところよ!縁があるってのは、こういう事だ。
棟方志功展へ | あべまつ行脚 | 2006/10/17 9:58 AM
ミュージアム・パスポートを握り締めて大丸ミュージアム・東京にて観てきました。今回
「幻の棟方志巧展」 | ひねもすのたりの日々 | 2006/10/17 7:11 PM
棟方志功=板画(版画)と思っていました。 落選のことは知っていますけど。 今回初めて棟方志功の肉筆画(原画)を見せてもらいました。 クラレが社運、否、日本の命運を賭けて一大事業を成功させようという決意がビニロン…の柵に込められていたような気が本当にしま
幻の棟方志功 展 | ?????åĹ | 2006/10/17 10:14 PM